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まちの達人

1998年から港南台連合自治会会長を務め7年になる早速晋さんは、港南台の街づくりの達人。自治会長を務める傍ら、学校開放運営委員会委員長、港南福祉ホーム運営委員長、港南台地区社会福祉協議会会長、港南区明るい選挙推進協議会会長、港南区防災拠点運営委員会会長・・・などなど子育て福祉など幅広くご活躍です。
終戦時は特攻隊の戦闘機乗りだったというご経歴など、豊富なご経験を自治活動に活かし私たちの暮らしを支えていらっしゃいます。83歳を迎えて益々お元気な早速さんにお話を伺いました。


達人インタビュー
パイロット経験があるという噂を伺ったのですが・・・

はい。航空士官学校を卒業後満州で後輩の指導にあたっているときに、内地(帰国)異動命令があり、それが特攻隊でした。その後帰国して、出撃準備中に終戦をむかえたので今こうして生きています(笑)。8月25日に日本の戦闘機が飛行停止になるまで、大本営直轄連絡チームとして、アジアの各地に飛んで終戦の撤退処理などをしたりしたんですよ。上海からの最後のフライトでは、頼まれてこっそり民間人も載せてきたんです。

歴史を生きていますね。復員後はどのようなお仕事をされたんですか?
実は、その最後に載せた民間人の一人が、上海でやっていた通関の仕事を日本でも始めるというので経営に参加しました。昭和24年、大阪神戸で港湾運送業の会社をはじめたのです。途中航空自衛隊ができたときには、呼び戻されたのですが、経営者の責任として民間に残りました。
横浜へこられたのは、いつどんなきっかけですか?

順調に成長した会社の本社が東京進出をするのにあわせてです。首都圏の港湾運送の拠点ですからね、横浜は。昭和33年でした。昭和49年から手がけたのが、当時金沢区にできる臨海工業団地に用地を確保するために作った同業者組合です。

中小企業が1社で土地を確保するのは大変なことでしたから、運送業者をあつめて50社で組合を作り、公害防止事業団からの出資をうけて、金沢工業団地の土地を横浜市から購入しました。業者間の調整、連絡、市と交渉、事業団からの出資のとりまとめなど、とにかく「合意」「理解」「共に進める」ことを怠れない仕事でした。

その組合の専務理事59年まで10年間勤めました。会社経営や組合の取りまとめと事務局長時代の経験は、現在の地域活動において、辛抱強く意見をまとめていくスタイルを生みました。

 

連合会長職以外にもさまざまな地域活動のリーダーをされていますが自治会活動に参加されたきっかけはなんですか?

たかのす自治会の会長がまわってきたこところからです。連合の会長に就いたのは平成10年ですから現在7年目ですね。自治会の活動をしているといろいろな相談を受ける機会が増えて、いろいろな広がりで今のようにたくさん引き受けていますが、今後はどんどん若い人に運営を任せたいと思っています。

まだまだ、自治会をはじめ地域活動はほんの一部の人がやっているようにみえます。若い優秀な方が今の地域の活動に参加しやすい、またリタイア後に地域に戻ってこれる参画できるスタイルが必要だとおもいます。
港南台は、市民活動と自治活動、商業活動が近くでうごいている実感を感じる町。
いい方向に向かうと思いますよ。

 

メールも書類も使いこなしていらっしゃいますが、パソコンはいつ頃から?

組合のさまざまな労務、経費管理をするため専用のデータベースをつかってきたので、キーボード操作には慣れていましたね。27年前ですから今とはずいぶん違う機械ですが。新しいもの・技術は好きですから、家や自治会のブロードバンドの手続きも全部やりましたよ。パソコン操作でわからないことがあると孫に教えてもらってます。IT技術の進歩は、すごいですね。

インターネット上の電子会議室(掲示板)は365日、開かれた区民会議をできるのと一緒だとおもいます。自治会でもパソコンの導入が進んでいるのは1/3程度。若い人にどんどん進めてほしいと思っています。


お話を伺っていても、昔の年号や日付をびしっと覚えてらっしゃって、新しいことにも本当に詳しいので、そのやわらか頭の秘訣を伺うと「昔は飛行機のメーターや計器も今のように整ってませんから、計算表と目印を頼りに風向、風速、天候を判断して目的地まで飛ぶわけです。五感を駆使して即座に計算と判断していた訓練が活きているのでしょう」とのこと!若いうちに鍛えておかなければ・・・ あ、もう手遅れ・・・・?

[インタビュー] いしばし

達人の紹介



港南台連合自治会会長 早速 晋


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