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国際交流ハーティ港南台の活動


【ころBOXレポート】



特定非営利活動法人 「国際交流ハーティ港南台」

小野里 純子さんに聞く―「 国際交流ハーティ港南台」の活動


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みなさんは自分の思いが相手にうまく伝わらなかった経験はないだろうか?

ハーティが、外国人が安心して住めるお手伝いを始めてから、昨年で20 年を迎えた。「心の暖かい」のハーティと、好きなまち港南台を会の名前にした。外国人の知人が、言葉の壁が原因で病気の回復が遅れた経験をし、医療通訳の必要性を感じたことが設立のきっかけだ。そして「多言語医療問診票」を作成した。

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現在「多言語医療問診票」はインターネットで11 年間に100 万回以上のアクセスがある。自治体・医療関係・国際交流機関を通じて紹介もされている。活動領域も広くなり6部会が自立して活動を行っている。特に子供たちと一緒に日本語を学べる教室は珍しく、口コミで広がり、他地域からの参加者も多い。海外支援として、フィリピンには物資の支援に加え、図書館とDVシェルターを設立した。地域の人々の自立を目指した活動である。活動資金は、バザーで焼き鳥を販売し集めている。

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ハーティの理念は、金子みすずさんの詩「私と小鳥と鈴と」である。「みんなちがって、みんないい」。この言葉を名誉会長の小野里さんは「多文化共生」を目指すハーティの活動と通じるところがあると言う。

小野里さん自身の活動原点は、中学時代に支援物資として受け取った可愛い真っ赤なコートのポケットにあった手紙だと語る。「私の大切なものだから貴方に差し上げます」と書いてあった。コートが海外からの善意の贈りもの(※ララ物資)であったことを随分後になり知ったそうだ。その時、自身何故国際交流とボランティアに携わってきたかの原点がわかったような気持ちがしたとのことだ。

ハーティの活動に関わった外国人は36ヶ国400人、支えたボランティア600人。ハーティの活動は、人の心を開き、思いを結び、絆を繋いできたように感じた。

※ララ物資…
アジア救援公認団体が1946年〜1952年まで提供していた日本向けの援助物資。2002年、横浜の新港埠頭に「ララの碑」が県立された。


取材日:2012年08月09日
レポート◎竹田真奈美


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