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まちサロンin CAFÉ 港南台の歴史


【ころBOXレポート】



《第5回まちサロンが、港南百景アーカイヴとまちづくりフォーラム港南により、港南台タウンカフェで開催されました》

今回のまちサロンでは、日野連合町内会長の寺田伊佐武会長をお招きして、この日野町で過ごした少年時代を振り返りながら港南台のむかしの暮らしや街の様子を伺った。
参加してくださった方々は総勢16名。賑やかな雰囲気のなかで行われたサロンをレポートする。

取材日:2007年6月16日(土)
場所:港南台タウンカフェ


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白黒の航空写真が映し出すのは、団地・住宅地が造成される前の港南台の姿である。
当時はまだ「港南台」という地名はなく、「日野町」と呼ばれていたこの一帯は自然が一杯の日野川沿いの里山の世界だったという。

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港南台の旧家に生まれ育った寺田さんが終戦を迎えたのは小学校3年か4年の頃。この頃の港南台は、まさに「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」で、前を流れる日野川にはウナギやフナが泳いでいた。

昼のうちは素足で野山を駆け回っていた寺田少年も(そのおかげで今でも冬の寒さも夏の暑さも平気なのだそう)、夜になると隣の家に行くのも怖いくらいの暗さだったという。地域の皆がほぼ自給自足で同じものを食べ、同じ暮らしをしていたから、貧しいなどとは思わなかったそうだ。


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港南百景アーカイヴに残る約50年前の写真と現在の写真を見比べながら、寺田さんから繰り出される話題は実に豊富だった。

例えば、小坪小学校の名前の由来については、創立当初「第四小学校」となるはずが、四という数字は縁起が悪いと言う保護者の声を反映して、隣りにあった小坪公園にちなんでつけたことを皆さんはご存知だろうか?

寺田さんの趣味は飲み食べ歩きである。31歳の時に脱サラをして「やるからには地域一番店を目指そう」と飲食業を始めるが、仕事の傍ら小中高校のPTA会長を引き受けることになり、それが縁で食品関係や日野連合町内会長などの役職に就いてきた。さまざまな組織で活躍しながらも、いつも家族や従業員、そして地域の方々や友人・知人に支えられてきたことを感謝しているという。寺田さんにとって地域はまさに「幸せの場」なのだろう。

こうして助けてくれた人々に尽くすためにも自身の健康管理には十分な注意を払っているとのことで、週に2日は休肝日を設け、ジムでのトレーニングや山登りもしているそうだ。

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サロンの後半は、気楽な雰囲気の中で参加者たちが歓談を楽しんだ。

ご夫婦で参加してくださった方々、お友達同士で誘い合わせていらした方々、港南区民でない方も参加くださり、さまざまな視点から地域に対する思いが語られた。

ある男性は30年以上港南台に住んでいるが、勤め先が東京にあったために家には寝に帰るだけで、仕事を辞めてから港南台のことをもっと知りたくなったそうだ。
またある女性は、一度他の自治体へ移り住んだが馴染めずに、やはり港南台に戻って来たという。

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他の地域では、古くから住む人と新しく移り住んできた人の関係がうまくいかないところもあるが、町内会長をやっている寺田さんは、縁あって同じ地域に住むことになったのだから、新旧住民が良い関係を築いていくことが大切なのだと考えている。

ある参加者の方は、「還暦を数年過ぎ、これからこの地域で過ごすことになる。周囲の人の話を聞くと、他所から横浜に移り住んできた人も多く、今日のサロンのように地域の歴史について話を聞きたい人はかなりいるのではないか。」と語ってくださった。

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次回のまちサロンは8月25日(土)開催予定です(詳細は決定次第お知らせいたします)。皆さんも参加してみませんか?

○港南区デジタルアーカイブ〜港南百景
http://e-town.ne.jp/kamioooka/shop/223/report.html
『港南の歴史』


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